新型コロナウイルス感染症を受けて延期していた市内各地域を回る対話集会を再開しました。市の広報誌や私のブログ・SNSだけではこの間のコロナ対策を十分に伝えることができないため、集会で下の資料を配布し、説明しています。
最大のポイントは未知の感染症に対応する上での「想像力」でした。コロナ対策は初体験の中でもとにかくスピード感ある実行が求められています。特に3~5月の段階で市民の皆さんとの接触が限られる中、これまでの経験に基づき何が必要か考え、想像を前提に実行を決断しました。
例えば、国県や他の自治体に先行して4月中に実現した事業者の皆さんへの支援の給付措置は、正直、自営業者の息子だったからある確信を持って市役所内で提案できたと思います。さらにチルドレンファーストとして、ひとり親家庭への給付や就学援助家庭へのお米の支給、高校生世帯支援、中学3年生に特化したタブレット端末の配布、修学旅行のバス台数増などを市費で実施することは、まさに子育てに直面する同世代の課題を想像したから決断できました。
加えて、医療的ケア児にとって必要不可欠な消毒液の確保が困難となっているはずだったため市から対象者にお渡ししたこと、妊婦の皆さんが内心で外出を抑制したいと強く思っているはずでこれに在宅勤務や市内事業者の皆さんへの依頼で対応したことなども、同じ文脈です。
県議時代から、地元を1軒1軒回り、対話をさせていただいたからこそ、現場を想像できました。それでも行き届いていないことがあることは自覚しています。引き続き、現場主義で努力していきます。
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戦後75年。あの時代を多面的に捉えることで、新たに見えてくることがある。古賀市は平和行政を強化しており、10日、福岡市博物館の有馬学・総館長をお招きして「戦争は社会をどう変えたか~戦争と国民生活」をテーマに講演会を開催しました。
今回、有馬先生は「戦争のもう一つの側面」に焦点を当て、「社会問題を解決しようとする人々に『戦時体制への期待』が存在した」ことを解説。決して戦争を肯定するわけではなく、現実に戦時体制となったことで価値観が変容し、結果としてそれまで乗り越えることができなかった社会課題を乗り越える契機となったことを「女性」「農村」「メディア」の視点から分かりやすく説明してくださいました。
有馬先生によると、例えば「戦争によって女性が社会に出るようになった」ことについて、市川房枝は「国防婦人会については、いうべき事はあるが、然しかつて自分の時間というものを持った事のない農村の大衆婦人が半日家庭から解放されて講演をきく事だけでも、これ婦人解放である」(『女性展望』1937年9月号)と残しています。また、戦時期の食糧管理法によって従来は小作人から地主に払われていた米が全て直接政府に買い上げられる仕組みとなり、戦後の農地改革の前提となったことや、『LIFE』を参考にして欧米向けに日本を紹介するために創刊されたグラフ雑誌『NIPPON』は質が高く、日本におけるグラフィズムの本格的な展開につながったことなどにも触れられました。
繰り返しますが、戦争の肯定ではなく、平時とは異なる状況の中で、結果として社会の変容が促されたという事実をつかんでおく必要があるという学術的なアプローチです。
講演会後、有馬先生とリーパスプラザこが歴史資料館ギャラリーで開催中の企画展「戦争とくらし~庶民から見た戦争~」へ。11月8日まで開催していますので、皆さんもぜひご覧ください。
戦争体験者が高齢化し、先の大戦の記憶を確実に未来につなぐため、後進世代の私たちはその体験を追体験しておかなければなりません。不戦を誓い、世界の恒久平和に向けて、引き続き平和行政を推進していきます。