古賀市を流れる大根川。4日、地域の子どもたちや住民の皆さんと一緒に川にすむ様々な生き物について、そして、私たちが川を守っていくことの大切さについて学びました。
日ごろからお世話になっている「薦野の歴史をつなぐ会」(水上武美会長)の企画。子どもたちは大根川上流で実際に川の中に入るフィールドワークの後、薦野区公民館で講演。
この日の講師は、九州大学工学研究院・流域システム工学研究室の富山雄太さんでした。私も以前から面識がある方で、この日の話もとても分かりやすいものでした。希少な魚がまだ大根川には生息していること、魚の多様性を保つために川を守っていくことの大切さ、食物連鎖でつながる川と人間……。子どもたちもしっかりと聞いてくれていました。
また、大根川については、地元の皆さんと九州大学、古賀市、福岡県などが協力し、意見を出し合いながらその整備のあり方を考えてきました。具体的には、古賀市役所庁舎の裏手にある大根川から谷山川に抜ける「旧河道」。住民の皆さんが親しめる空間に整備する方向で進めています。富山さんからは、このことについても触れていただきました。
詳細は古賀市のホームページにも紹介されています(こちら)。また、私もワークショップには可能な限り参加してきました。これまでの経緯は2011年6月26日付 、2012年4月7日付 、2013年3月30日付 、2015年2月11日付ブログもご参照ください。
私もこの日の挨拶の中で、子どものころから大根川に親しんできたことなどをお伝えしたうえで、県として市と協力しながら整備を進めていることを報告させていただきました。
ちなみに、「大根川」という名前が珍しいのか、由来を聞かれることがあります。
古賀市の資料などによると、弘法大師の伝説から。弘法大師が全国行脚で筵内に立ち寄った際、鷺白橋の下で大根を洗っている老婆と出会います。弘法大師が「大根をください」と尋ねると、老婆が拒み、石を投げつけてしまう。このため、弘法大師が何かを唱えながら金剛の杖で地面を三度突くと、川の流れがぴたりと止まり、それからというもの、毎年、大根を洗う時期には川の水がほとんど枯れるようになった――ということのようです。
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古賀北中学校で開かれた「古賀市同和問題を考える市民のつどい」にも参加しました。講師は、猿回し師の村崎太郎さん。被差別部落出身であることを公表しており、この日もご自身の経験から、私たちの社会に根強く残る差別意識の現実をお話しいただきました。
会場にはとても多くの市民の皆さんが集まりました。私としては、すべての市民の皆さんに聞いていただきたいと心から思った講演でした。
私たちが互いを理解し、一人一人を大切にできる社会へ。あらためてしっかりと学ばせていただきました。これからの自らの活動をより一層充実したものにしていく決意を新たにしました。